8月18日 アホウドリ(その2)

 ちょっとアホウドリの親仔の絵を書いてみました。

親は5~6㎏、仔は7~8㎏にもなります。
8月7日にアホウドリのダイナミック・ソアリングの話をしました。
 今回は『アホウドリ』そのものについて書かせてください。
『アホウドリ』を見たことがない!と書きましたが、実は記憶が曖昧です。それは、歳のせいではなく、若いころから『きちんとメモを残さない!』という決定的な短所によります。大学生の時、長谷川先生に鳥島に連れて行ってもらう事はありませんでした。もっぱら研究室内でアホウドリの雛の骨の計測だけでした。
 どうしてもこの目でアホウドリを見たい!と、竹芝桟橋発の『小笠原丸』に乗船し、鳥島近辺で見よう!と思っていましたが、東京湾を出た小笠原丸は冬の太平洋の前に単なる『笹船』好き勝手に波と潮に翻弄されます。家族旅行だったのですが、妻も子供も早々にダウン!自分も胃を裏返したような状態になりながら、鳥島付近ではデッキで双眼鏡を覗きます。『ウグッ!!』でも、出てくるのは『黄色い酸』のみ・・・(食事中の人ごめんなさい!ってネットだから食事中なわけないか)・・・でも、・・・でも・・・です。朦朧とする意識の中で僕は確実に見ています。鳥の姿を!!
大きさ、形から言ってアホウドリでしょう!!でも、これを『見た』とは書けないのです。もしかしたら『オオミズナギド』、そうでなくても『クロアシアホウドリ』?・・・『同定』は難しいのです。
 話は違いますが、東京ー小笠原間は30時間!東京湾を出てから1時間もしないで船酔いの絶頂!残りの25時間ぐらい、・・・そして帰りの30時間!結構厳しい『船旅』でした。
 
 『アホウドリの歴史』について書きます。
 昔は北半球どこでも見られる大きな、そして奇麗な、更に利用価値のある『海鳥』だったのでしょう!各地の遺跡からアホウドリの骨が出土しています。この前行った『フゴッペ洞窟』からも出土しています。
 しかし、西洋で『羽毛』の需要が高まると、『羽毛』を取るためだけに殺されます。『鳥島』では1887年人が入り、計630万羽ぐらい殺された。斜面の下に向かってしか離陸できないので、簡単に撲殺されていったのです。  1933年に猟が禁止された時には50羽のみ!1939年には『鳥島』が噴火、営巣地の『燕崎』も降灰を受け、1949年『絶滅宣言』!!
 その後、再発見!!1970年代になって長谷川先生による『保護・調査』活動がはじまります。その頃の個体数は50羽強。・・・その後、環境庁も保護に本腰を入れ、2018年には5000羽にまで増加。『奇跡の復活』を成しつつある鳥です。