7月15日 ウポポイ(その2)

チャンスがあったので、白老町ポロトのウポポイ

(民族共生象徴空間)に行って来ました。国立アイヌ民族博物館を中心とした、なかなか大きな施設でした。『共生』という言葉をあえて使っているだけあって、単なる『博物館』ではなく、『アイヌ文化の継承』を強く意識している施設となっており、日本でもやっとこういう動きがはじまるのだな!と感じました。2009年9月に大英博物館に行った時、世界は『リベイトリエイション(帰還)』の渦の中にありました。博物館(国)による略奪によって収集された民族の遺品や遺骨をあるべき所に戻してほしい、という運動で、特に、北米のモンゴロイド(ハイダとかクリンキッド)のその運動については写真家、星野道夫も彼の著作の中で触れています(星野は1996年8月8日にシベリアで熊による事故で亡くなっています)。日本国内について言うと、アイヌの人たちの『遺骨』(大学など研究機関によって持ち去られた)の帰還については最近もニュースになっていました。このウポポイがそういう事に対して『前に進む』ための拠点になっていけば・・・と感じました。前回、『蝦夷』について少し書いたので、この博物館での展示(下の写真)と、解説を掲載しておきます。
【当時の日本の中央集権側の人たちがイメージしたエミシの図】
【「日本書紀」「続日本紀」などにみられる「蝦夷エミシ」は本来「勇猛な人」を意味する日本語でしたが、近畿地方を中心とする古代国家が成立していくと次第に東北地方の異民族を意味する用語に変化しました。この時期の「エミシ」はあくまで政治的な目的でつくられたイメージであり、アイヌ民族との関係ははっきりしていません。12世紀頃になると、新たに「エゾ」という呼称が普及するようになります。】