8月4日 遺跡の年代

 赤井川村の遺跡は、現在66ヶ所登録されている。

 遺跡の分布については、6月30日の『歳時記』で示した通りです。
昭和30年に初めて発見され、翌年には調査が始まっている。昭和32年に北海道大学により『板小屋沢遺跡』(アリスファーム手前)の調査。
 昭和33・34年(自分は34年生まれです・・・関係ないか)に『曲川遺跡』(7月30日の歳時記に掲載)の調査が行われている。この時の報告では『この場所(曲川)は昭和23年の入植以来、耕作受けていたために包含層が一部深く攪乱されていた。また、遺跡に至る林道付近には黒曜石の原石が露出しており、人頭大から握り拳ほどのものが多く見受けられた。』となっている。この頃は、黒曜石が川原にいっぱいあったという事だろう。
 昭和37年には『館巌沢遺跡』(北丸山南麓南麓・・・緊急ランの道を挟んだ南側)の調査が行われ『畑地200坪の範囲に土器や石器の分布がみられた。表面が一部攪乱されていたものの、良好な場所も多く、特に縄文時代早期の貝殻文土器の出土は注目を要する。』となっている。
 以降、66ヶ所(板小屋、館巌沢を含む)が調査され、旧石器時代の遺跡が14ヶ所、旧石器・縄文時代の遺跡が11ヶ所、縄文時代の遺跡が6か所、年代不明の遺跡が35ヶ所となっている。
 平成18年の『板小屋沢(いたこやさわ)遺跡・日の出2遺跡(アリスファームの上(北)』の調査では『大半が縄文時代の所産と考えられる』『本遺跡は黒曜石の剥片や砕片または残核等の散布地である』『このあたりで加工された石器類は他の地域に持ち出された事が推測される』『日の出2遺跡周辺が黒曜石の主要な原産地である赤井川と余市平野を結ぶ交通の要所(冷水峠越え)に位置していたことが考えられ、この付近で加工された石器の一部はモンガク遺跡(仁木町)、登川右岸遺跡(余市町)、大谷地貝塚(余市町)に運ばれていたこと等も考えられる』となっている。
 以上、北海道埋蔵文化財センターの平成18年発掘調査報告書からの抜粋でした。上の写真はセンターの展示コーナー、下の表は時代区分です。